2014年 01月 17日
昨年末の12月28日、MIXを引き受けてくださった白井さんのスタジオで、 完成したMAU2の2ndの試聴会の前に、 せっかくの機会だからと、いろいろインタビューをさせてもらっちゃいました。 その内容を3回に分け、ブログに記していきますね。 なかなか興味深い内容ですよ~~。 (G;銀河 S;白井) ------------------------------------------------------------ G;今回MAU2のMIXをお願いした白井昭彦氏は、プログレッシヴ系ロックバンドpresto、axisでの超絶テクニックを誇るギタリストというだけでなく、サウンドクリエーターとして、作曲はもちろん、レコーディング、MIX、プロデュースにいたるまで、全ての音楽制作に才能豊富な方でいらっしゃいます。 本日(2013/12/28) MIXが無事終了いたしまして、せっかくなのでこれまでの苦労話や裏話をちょっとお聞きしたいと思いますが、その前に、白井さんの今までの音楽歴を少しお話しいただいてもいいですか? S;そうですね。まず小さい頃にピアノを始めました。いわゆるバイエルとかやったわけですが、あまり熱心ではなかったですね。ただ、絶対音感だけはつきまして、それは良かったですね。その後、12~13歳ですか、兄の影響で、フォーク・ギターをはじめました。井上陽水の『夢の世界』が4つのコードでできるという話だったんで、その曲をまず練習しましたね。 G;ということは白井さんの音楽の原点は井上陽水ってことになりますか? S;そういうことになっちゃいますね・・・(笑) G;なるほど。ではエレキ・ギターはどういう経緯ではじめられましたのですか? S;エレキはですね、実は最初は鍵盤楽器がやりたくてヤマハのDX7に憧れたんですが、価格が子供には手が届かなくて諦めまして、それで1984年でしたかライブエイドがあったと思うんですが、あれを見てエレキいいなあと思いまして、それで白いストラトキャスターがほしいなと思いました、なぜか・・・。 G;なぜか? S;なんですかね?当時のミュージック・ライフの裏表紙に白いストラトの広告が載っててかっこいいなあと思ってたり、ライブエイドでスティングが黒いストラトを持って演奏してる姿がすごくかっこ良くって、だんだん自分の中でストラトいいな、と思うようになって・・・。で、お茶の水の下倉楽器に行きまして、予算の都合で白いストラトは買えなくて、青いストラトを買いました(笑)。それが始まりですね。その頃は洋楽の流行りものが好きで、クィーンとかTOTOのギター・ソロとかを結構コピーしたりしてましたね。 G;で、バンドはいつ始められたんですか? S;バンドのまね事は中3くらいでしたね。 G;じゃあエレキを持ってすぐくらい? S;そうですね、でもその時はなぜかドラムだったんですね、誰もやる人がいなくて・・・(笑)で、その辺から何でもやるようになって。オリジナルっぽいのとかみんなが好きそうなのをやったりとか。 G;じゃあ作曲もその頃から? S;そうですね、中学の終わり頃から。でも当時は作曲はよくわからなくて、真似事でなんとなく・・・。 G;で、高校時代も引き続きバンドを? S;ええ、軽音部に入って、コピー・バンドとかやってました。で、その頃からプログレも聴きだしました。 G;プログレはどういうのを聴いていたんですか? S;当時は兄の影響で、フロイドとかイエスとか4大バンドあたりから入りましたねえ。その後ラッシュを聴きまして、面白いなあと思いました。で、ラッシュのコピーバンドを始めました。その頃からだんだんプログレに傾倒しだしまして、キング・クリムゾンとかいきましたねえ。 G;その後、白井さんはprestoを結成されるわけですが、その間はいろいろあったんですか? S;ありましたねえ(笑)。コミック・バンドとかやってたんですよ(笑)。 G;(笑) S;米米CLUBみたいなやつですね。 G;JPOP的なかんじですか? S;そうです。米米のコピーとちょっとだけオリジナルをやってました。高校時代のクラスメートを集めてやってたんですが、その人脈でだんだんシフトしていき、その縁で奥津岳と知り合いました。 G;ああ、axis のドラマーの? S;で、彼と絡むようになり、オシャレ系のフュージョンとか・・・ G;どの当たりの? S;スクエア、カシオペアとか・・・ G;その辺はMAU2もやってましたねえ(笑) S;ちょこちょことオリジナルもやったり、それで、それをレコーディングをしたりしたんですが、それをテープ・コンテストに出したんですね。槇原敬之とか輩出したリットーミュージック主催の。それが縁で、ぼくがリットーミュージックに目をつけられ、仕事してみない?って誘われまして、テレビのBGMの仕事とか始めたんですね。それと並行してオリジナルを作っていきました。で、山中湖にあったビクターのスタジオでアルバム一枚分レコーディングしたのが、presto だったんですね。なので元々はバンドというよりはユニット的なかんじでした。 G;その時の音楽性はどんなかんじだったんですか? S;当時は自己顕示欲が強くて、ぼくこんなにできるんだみたいなかんじで見せつけるような、音楽性に節操はなかったんですが、プログレッシヴ・ハード的要素を取り入れていて、まあドリーム・シアターみたいな・・・。 で、それが話題になったりとか、ありました。その後、presto の2ndを作るにあたり、ちゃんとバンド化しないとね、ということになり、メンバー募集を始めました。キーボードの田中(隆司)さんとはその頃、地元(横浜)が近かったせいもあり知り合いました。それが13年前くらいの話になりますかね、2000年頃でした。 G;その後、presto からaxis へのシフトの経緯はどういうかんじで? S;メンバーがゴチャゴチャしてる時期にネット募集でヴォーカルのともみさんが入ってきて・・・。彼女はJPOPとか和風R&Bというのかそんな音楽をやっていて、裏でスタジオ・ミュージシャンとか仕事もしていたりして、まあ畑の違う人ではあったんですが、この人より歌える人はいないよねっていうことで、入ってもらって、とりあえず1枚作りました。で、いろいろ大人の事情がありまして・・・(笑)、presto じゃなくてaxis でいこうということになりました。 G;先にアルバムを作った後で、axisでリリースしようということになったんですね。 S;そうです。実は彼女がプログレというのに抵抗がありまして、リリースするならprestoではなくバンド名を変えるということになりました。ぼく自身あの作品に思い入れがありまして、これをお蔵入りするのはどうなんだろうと思いまして、泣く泣く受け入れまして・・・、axis となりました。 G;axis の音楽は、白井さんの洋楽的要素と、ともみさんのJPOP要素が交じり合ったように聴こえますが? S;ベースのオケを作るのはぼくなんで、当然洋楽っぽくなってますが、その後のメロディ・ラインとか歌詞とかをともみさんに任せたりした部分もありましたので・・・。1stはまだ田中さんはそんなに関わってないですね。 G;田中さんは2nd、3rdにいくに従って比重が高くなっていく? S;そうですね。田中さんは人の嫌がることが好きで、これ絶対ともみさん嫌がるねみたいなものをぶつけてくるんですが、それをともみさんがぶった切る、また挑戦する、みたいなのがバンドの図式でしたね(笑)。 G;バンドのメンバーそれぞれやりたいことははっきりしていて、その調整が難しいってこともあったってかんじですか? S;そうですね、でもだんだん皆丸くなってきて皆で頑張ろうみたいなかんじにはなってきました。それが最終的には3rdアルバムに反映されました。 G;確かに3rdは、コンセプト的なところでともみさんのアイデアがよくわかりますし、白井さんの音楽性もしっかり出てますね。 S;あとは田中さんのエッセンスの比重が重いですね。 次回vol.2に続く(全3回)。
by gwingermau2
| 2014-01-17 18:30
| 2ndレコーディング
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